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小川乃湯の源泉、
塩浦山医泉寺[いせんじ]温泉創立
(1154年 久寿元年)
医泉寺という名は、薬師堂の側から当館と同じ霊泉(医水)が湧き出て、この水で傷口を洗えばすぐ治るとか、この水で湯を焚いて入れば病気が治るといわれたことから、「医泉寺」と名付けられたといわれています。(喬木村誌より) |
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北島新平先生
「塩浦山医泉寺」 |
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武田軍がこの湯で療養(1553年
天文23年)
武田家が三河進出の頃、神峯を攻落した折りにこの湯で負傷者の傷を癒したといわれています。また右のような古文書も残しています。 |
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湯澤家初代、湯澤豊前佐重久
[ゆざわぶぜんのすけしげひさ](1564年 永禄7年)
当館を代々受け継ぐ湯澤家の初代です。江戸時代の家系図によると、戒名は真翁玄性居士(しんおうげんしょうこじ)。
※豊前…現在の大分県付近 佐…補佐官の意味 |
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信玄下知状
(当館所蔵)
天竜川の氾濫に
注意を促している |
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湯澤家の先祖、
頓覚浄園居士死亡[とんかくじょうえんこじ]
(1687年 貞享4年)
京都を旅行中に死亡。
京都黒谷の金戒光明寺に墓があります。 |
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湯澤家の家系図制作(1722年
享保7年)
現在ロビーに展示してあります。 |
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武田逍遥軒下知状
(当館所蔵) |
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湯澤家の先祖、湯源栄始居士
[ゆげんえいしゅこじ] (1805年 文化2年)
湯治場を始めた人物なのではないかといわれています。 |
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湯治場開始(1820年
文政元年)
「湯治場開始」の文書を役所に提出したという古文書があったが、現在は不明。 |
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小田宅子さんご一行宿泊(1840年
天保11年)
陰暦4月25日、小川峠を越え秋葉神社にお詣りをする。その前日当館に宿泊し「五木湯」という薬湯に入ったとされています。(東路日記より)
五木湯についてもっと詳しく見る |
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喬木村歌に当館が登場(1909年
明治42年)
この年に作られた喬木村の村歌の4番の一節
「夏は小川の耕(たが)の湯に・・・」
この「耕の湯」こそ、当館を示しているといわれており、当館所蔵の焼き印にも「耕の湯」と刻印されています。 |
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東路日記について
書かれている
「姥ざかり花の旅笠」
集英社文庫 |
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小川乃湯物語
番外編 小川乃湯の庭

当館の庭の大きな岩石は「竜宮」まで通じているという。大昔からどんな地震が起きても揺れることがなく、地割れも出来ないというので、地震といえば近所の人々はすぐに大石の所へ来ていたそうです。
また、武田信玄が知久の「神の峯」を攻めた時もここに本陣をおいたそうです。当館の庭にこの時の信玄が乗った馬の蹄の跡だという窪みが残っております。(喬木村誌より) |
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